ロシア・サッカーワールドカップで日本代表が予選3戦目に戦うポーランド代表には香川真司選手の元同僚がいます。
それが、背番号16のMFヤクブ・ブワシュチコフスキ選手です。
ここではプレースタイルや経歴を紹介したいと思います。
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ポーランド代表・背番号16MFヤクブ・ブワシュチコフスキのこれまでの経歴
It's this man Jakub Blaszczykowski's 100th cap for #POL today. Loyal servant of his country #WorldCup pic.twitter.com/WF4DGmxxsw
— ST Sports Desk (@STsportsdesk) 2018年6月19日
ポーランド代表で背番号16を付けているのはMFのヤクブ・ブワシュチコフスキ選手です。
ブワシュチコフスキは1985年12月14日生まれの32歳。
愛称は「クバ」。
出身はポーランド。
10歳のときに父親が母親を刺殺する悲劇が起こり、サッカーを辞めていましたが、元ポーランド代表で叔父のイェジー・ブジェンチェクに励まされ続けることに。
2005年に加入したヴィスワ・クラクフで初出場で初ゴールをあげる活躍を見せますが、2季はレギュラーになれず苦戦します。
3季目にはレギュラーとして定着し、チームは不振に終わるもののブワシュチコフスキは、ポーランドのサッカー選手協会の投票によるリーグベストイレブンなど多くの賞を獲得します。
この頃、ポーランド国内ではリトル・フィーゴと呼ばれるほどの地位にまで登りつめます。
その後、2007年にドイツのボルシア・ドルトムントに移籍。
2008年には初出場、リーグ戦初得点を記録します。
その年にポーランドの年間最優秀選手に選ばれ、ドイツでもファンからの投票でチームの最終週選手に選出され定位置を獲得します。
2011-2012シーズンではチーム史上初の国内2冠に貢献し、シーズン終了後にUEFAが主催するUEFA欧州最優秀選手賞の候補32名に選出されます。
この頃、香川真司選手もドルトムントに所属していて、2011-2012シーズンではブンデスリーガの年間ベストイレブンに選出されていました。
ブワシュチコフスキはその後もドルトムントで活躍しますが、2013-2014シーズン途中で右膝を痛め、さらに十字靭帯損傷でシーズン終了まで離脱することになります。
2015-2016シーズンはイタリアのフィオレンティーナにレンタル移籍しますが、2016年からは同じドイツのヴォルフスブルクに完全移籍しました。
代表に2006年からフル代表として活躍。
2006年のワールドカップ、2008年のUEFA EURO 2008とも怪我で出場できませんでしたが、
2012年のEUROには主将として出場。
代表での出場数は97回で通算19ゴールを決めています。
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ポーランド代表・ブワシュチコフスキのプレースタイル
Retweeted https://t.co/RGFDKuZyAt (@Poland):
Our last action hero, Jakub #Błaszczykowski, will play his one hundredth game 💯 for the #Polish national team 🇵🇱 today:https://t.co/wDaOBxNqUj#WorldCup #POLSEN #PolskaDawaj ⚽️ pic.twitter.com/rkNjbb7VSr
— Komunikaty Ottawskie (@Kom_OTT) 2018年6月19日
ブワシュチコフスキのポジションはMFです。
身長は175センチとそれほど高くはないものの、攻撃的なサイドアタッカーとして、多くのチャンスを作ります。
全盛期に比べると物足りなさを感じますが、リトル・フィーゴと呼ばれるだけあってサイドでの活躍が期待されます。
予選ではセネガル戦に出場しますが、コロンビア戦には出場していません。
日本戦では出場する可能性は少ないかもしれませんが、経験豊富な選手なだけに出場したときは要注意です。
他のポーランド代表選手についてはこちら
→ポーランド代表・クリホビアク(背番号10)のプレースタイルや経歴
→ポーランド代表・コフナツキ(背番号23)のプレースタイルや経歴を紹介
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ポーランド代表・ブワシュチコフスキの悲しい過去とは
サッカー選手として多くの賞に輝ブワシュチコフスキですが、悲しい過去があります。
それは10歳の時に起きた出来事です。
父親が自身の母親を刺殺するという悲劇が起こります。
父親は刑務所に入り、ブワシュチコフスキは祖母に引き取られ育ちます。
ブワシュチコフスキはこの出来事も記した自伝「Kuba」を出版。
ドイツ紙のインタビューでブワシュチコフスキはその当時のことをこう話していました。
「決して簡単なことではなかった。これまで忘れたことは1度もないし、今後も絶対に忘れることはできないだろう。そのことは僕の一部分として、生涯残り続けるんだ。あの光景は僕の人生を根底から揺るがし、一変させ、記憶に深く刻み込まれた。でも、僕を強い人間にするための何かがあの中に含まれていたと、僕は見ている」
そんな彼は事件から数年後にやっと受け入れることができ、前に進むことができたと言います。
そして、叔父のイェジー・ブジェンチェクの励ましもあってサッカーを続けることになったのですが、その後の活躍を考えればその時の選択は本当に間違えていなかったようですね。
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香川との関係は?
🇯🇵#日本代表🇯🇵
「シンジのすごいところは…」ポーランドMFクバ、かつての同僚香川真司を警戒#クバ🇵🇱が警戒する #香川真司🇯🇵の特長とは⁉#daihyo#samuraiblue#ロシアW杯#ワールドカップ#西野ジャパン
詳細はこちら👇https://t.co/Gcf0reE5Uq— Goal Japan (@GoalJP_Official) 2018年6月28日
ブワシュチコフスキ選手は香川真司選手とドルトムント時代にプレーした経験を持っています。
香川選手が所属していたときのドルトムントはドイツでも強豪でリーグ戦を連覇するほどでした。
その時の中心選手だったのが、香川選手とブワシュチコフスキ選手でした。
お互い中盤の選手として、パスを供給したりゴールを決めたりと好連係でゴールを量産していました。
今回のワールドカップではブワシュチコフスキ選手の出番が少ないですが、日本戦で元同僚との戦いをぜひ見てみたいですね。
他のポーランド代表選手についてはこちら
→ポーランド代表・クリホビアク(背番号10)のプレースタイルや経歴
→ポーランド代表・コフナツキ(背番号23)のプレースタイルや経歴を紹介
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